【稽古場レポート】② 私/あなたであり、俳優たちであること

RoMT Acting Lab.プロジェクトでドラマターグを務めている松尾元による、稽古場レポート・第2回目をお送りします。

 

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写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この企画のお話をいただいた際、演出の田野から「長期的な目標のひとつとして、一人語りを書いてくれる作家が増えたらいいなと思っている」という思いを伺った。これは、田野自身が演出家として、またワークショップファシリテーターとして俳優と時間を共にしてきた中で、ある年代を超えた俳優たちが落語を覚え始めるなど、自主的にできる事を探す姿に何度も遭遇したことがきっかけだそうだ。演出や他のクリエーターと組んだ表現活動とは別に、俳優個人として、または俳優同士、それぞれのスキルアップや表現欲求、実験精神に叶う企画を立ち上げる際、一人語りのスタイルによる戯曲が選択肢の一つになりうるのではないかというのが、この企画のモチベーションのひとつになっているようだ。

 

確かに近年、俳優がマルチなタレントを発揮する姿をよく見る。時に演出家や映画監督として賞賛を受け、また時に作家として名誉ある賞にノミネートしてくる。そんな中で、俳優が別の役割(作家・演出家)になるのではなく、あくまで俳優の主体性を持った企画として、一人語りは大きな可能性を持っている。そう稽古場を見て感じることがある。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回稽古場は、演出家の田野だけでなく、経験者である太田を中心に、俳優同士がお互いの観客となり、意見を言い合う場として成り立っている。もちろん最終的なブラシュアップは田野が行ってはいるのだが、このような場を見ていると、いつかは企画自体が演出家の手を離れ、俳優(たち)と戯曲、そしてお客さんの中で回っていく風景がぼんやり見えて来たりもする。

 

それは俳優にとっても刺激的な時間だそうだ。俳優陣からの発言をまとめると、端的に、一人語りにおける俳優、演出家間の平行関係の利点は3つある。

 

<1> 同じ戯曲を耳で聴くことで、セリフ覚え早くなる。また聴きながら自分も心の中で喋っているので、練習時間が何倍にもなる。

<2> 人の芝居を見ることで、自分の思いつかないアイディアが浮かぶ。また、重要な台詞や自分が大切にし過ぎている台詞、抜けやすい台詞に気が付く。

<3> 他の役者と自分を比べることで、むしろ人と違うことをやってみようという気持ちも出てくる。だから自分の声と身体でしかできないことについてすごく考える。全部見た時、みんな違うアプローチをしていて、それが戯曲と私たちの魅力だと言うために、全体のなかでの自分の役割を考える。そんなある種の連帯感が生まれる。

 

こういった話を聞くと、「世の中に悪い俳優なんて一人もいないのかも」とまで思わされる。もちろんスキルの良し悪し、得手不得手はあるだろうが、誰一人同じ人はいない。その人の身体、声にしか出来ないことがある。そんな自分だけの特異な魅力に、比較、他人からの指摘で初めて気がつくという場合も多々ある。そして、それを自覚し、発揮もしくはコントロールできる俳優を「良い役者」と私たちは呼んでいるのだろう。

 

そういう意味でやはりこの稽古場は、「良い役者」を問い続けている。ここで行われていることは、「誰々が出来て誰々は出来ない」という技術の比較ではなく、「誰と誰の違い」という人として、役者としての比較である。演出の田野も、当て書きならぬ当て演出として、その人それぞれの魅力を引き出そうとしている。そこには演出—役者の、または俳優間のキャリアに関する上下などは全くない。まず私/あなたである、でしかないから始まる演劇。そんなものが見られる予感がしている。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志