【出演者インタビュー】亀山浩史(うさぎストライプ)

うさぎストライプ所属の俳優、亀山浩史。俳優として演劇へ、決して驕らず真摯に向き合う姿には、尊敬の念を感ぜざるを得ない。そんな彼自身とはある種裏腹に、彼が語るキャラクターたちは、まるでアメリカンコミックのような、さらに言えばカトゥーンキャラクターのような愛おしさ、可愛らしさに溢れている。彼の語りを聞いていると、舞台という現実界の作品を通して、漫画やアニメのような夢の世界に飛び込むことが出来るのだなと、改めてその可能性に気がつかされるのだ。そんな2Dと3Dを自在に行き来する亀山は、今何を思い、演じているのだろうか。話を伺ってみた。

 

インタビュー・テキスト 松尾元(ドラマターグ)

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♦︎ 亀山浩史(うさぎストライプ)♦︎

1985年1月21日生まれ。神奈川県出身。レトル所属。

劇団青年座研究所を卒業後、数年間フリーの俳優として活動。2013年よりうさぎストライプに加入。

同劇団の公演以外にも、20歳の国、elePHANTMoon、青年団リンクRoMTなどの公演にも出演している。

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 
– ここまで稽古をやられてきて、今何を感じていらっしゃいますか

 

亀山 しんどいですね。拠り所が無くて。普段だったら相手役がいて、自分がたとえ棒読みだったとしても、それを相手は勝手に考えて、音を出してくれる。またこちらも、それを勝手に解釈したりして、そんなやりとりの中作って行ける。受動的というか。でも今回はお客さんに向かって自分から行かなきゃいけない。あと、1人で稽古すると全部が1人で補完されてしまうから難しいですね。普段自分がいかに、相手への作用を考えずに芝居をしていたか、痛感しています。もともと、仕掛ける役より仕掛けられる役、翻弄される役が多かった事もあるのですが。最近やっと仕掛ける側を演じる機会が多くなって来て。今回は、その最たる機会だなって感じがしています。ただ、まだまだだなって感じますね。相手のリアクションを想定しきれない感じがあって。その中で、例えば、お客さんが役者とは違い、セリフなどのリアクションが返ってこないことなどを上手く使えれば、もっと面白く出来るという感触はあります。

 

– 今回なぜこの一人語りに挑戦したいと思ったのですか

 

舞台上で普通に会話する事が苦手なので、上手くなりたいという欲があって。演技を作るとき、自分がどう見られているかばかり考えがちで。目立ちたいわけではないのですが、なんというか、エゴが強い感じがあるのです。そんな時、初演の稽古場で太田さんが喋る姿を見たとき、「いつかこれやりたい、これをやる事で、普通に喋る事が上手くなるかも」と感じたことが理由です。また、俳優として、たった1人で戦える武器を手に入れたいという理由もあります。うさぎストライプというカンパニーに護られた存在ではなく、一人の俳優、亀山浩史として何が出来るか、具体的な形で示すことができればと思っております。

 

– 似たような語りの作品に触れられたことはありますか

 

亀山 先日うさぎストライプでも一人芝居をやりまして。僕が出演したセブンスターという作品と、菊池佳南さんが出演されていたゴールデンバットという作品が二本立てだった企画です。特に菊池さんの作品は、結構お客さんに語りかけているように見えるシーンがあって、ちょっと今回の感じに近いと言えるかもしれません。また、色々な映画の中にも、語りのシーンって出てきますよね。それらの、視覚的な要素はまずあって、その中で物語を、語りとして聴く体験って、結構面白いなって思っていつも見ています。

 

– 今回台本を受け取る前に、初演の稽古を見学されておりましたが、この物語と初めて触れた時、どのように感じましたか

 

亀山 まず、上演と先に出会ったので、読み聞かせをして貰っている子供みたいな感覚になりましたね。すごく好き勝手に笑ったりしていい感じがあって。太田さんから「聞いてね」って言って貰えている気がして、その場に乗りやすかった事を覚えています。

 

– ストーリーに関してはいかがでしょう。例えば物語の舞台となっているスコットランドについて、どのようなイメージがありますか

 

亀山 具体的な場所のイメージはないのですが、僕「トレインスポッティング」[1]が好きで。単純に面白く、また、作品の中に流れるちょっとした冷たい感じとか、同じような経験を全くした事がないのに、その感覚凄くわかるって感じがして。その舞台がスコットランドだったので、今回参考にしているところも結構あります。本当のスコットランドかどうかはわからないのですが、今回の台本からも、街の寂しさみたいなところを感じる事がありますので。

 

– 今回の作品のおじいちゃんについては、どのようなイメージを持たれていますか

 

亀山 僕、両方ともおじいちゃんは早くに亡くなっていて、おじいちゃんの記憶ってかなり薄いのです。声も、喋り方も、何をして貰ったかも、なかなか思い出せなかったりしますね。それもあって、今回むしろある種のファンタジックな存在のように捉えていて。だから、アプローチとしては、まず自分の中にあるステレオタイプなおじいちゃん像を当てはめながら、違うなというところを変えていったりしています。後は身の回りにいる60代70代の方々をモデルにしたり、いろんな動画検索しながら、おじいちゃん像を埋めたりしていますね。だから逆に、一人のおじいちゃんとして見て貰えるのかなって不安もまだあったりします。

 

– 他にも、亀山さんの語りの中では特徴的なキャラクターがたくさん出てきますよね。例えば、学校のシーンでしたり。そこにモデルはいたりするのですか

 

亀山 実は特にモデルがいなくて。どちらかと言えば、「ウザい人」みたいなテンプレートをまず作ってみようかなと思っている感じですね。そして、その中で「出てきちゃった人」に乗っかって喋ろうかなと思っています。

 

– その「出てきちゃった人」という感覚はどのようなものなのですか。例えば「出そうとした人」とは違うのでしょうか

 

亀山 人物のイメージは先にあるのですが、その真似を自分がしようとした時に出す音は、イメージした人の音とはどうしても外れてしまう。ただ、自分自身の音でもない。所謂変な音みたいな。でも、その変な音を、真似の失敗ではなく、その人の音として書き換えてしまうというか。その方が面白いと思うのです。

 

– そうやって「出ちゃった人」を作る際、お客さんの反応はどのように作用しているのでしょうか

 

亀山 お客さんをキャラクターに見立てた時、「出ちゃった」反応を交えながら作っていますね。例えばお客さんをキャラクターの名前で読んだ時に生まれる、その人からの、または周りのお客さんからの反応をうまく使って、人物像を埋めていくみたいな。だから、別のお客さんが来たらまた大きく変わる事はありえますね。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– 演じる際のイメージについてお伺いしたいのですが、亀山さんは演じる際、自分の中のイメージを見ているのでしょうか。それとも、会場自体を見ている感じなのでしょうか

 

亀山 イメージを見ながら喋るみたいな事は出来ないですね。ただ、喋っている言葉を自分で聞くことで、出来るイメージみたいなものはあります。自己循環と言いますか。今まだ出来ていないのですが、自分の言葉を聞くとき、お客さんの反応も(返ってこないことも含めて)貰いながら、次の喋りに繋げていく事が出来れば、もっと豊かになる気はしています。例えば、物や誰もいないところに向かって話しかけるシーンは、喋る/聞くことの自己循環が上手く作用していくのですが、お客さんに話しかける場合は、そこに反応が生まれる。それをもっと利用していきたいですね。

 

– 今回台詞を覚えて行く中で、気がついたことはありましたか

 

亀山 台詞を覚えて行くために、基本的には、喋って、出てこなかったら戻ることの繰り返しをしていました。ただ、今回初めて、各シーンの後ろから覚えてみようと試みたりもしています。最後の着地点から逆算してシーンを覚えていく事で、中間の覚えにくかったところの意味というか、作用がわかりながら覚えられる感じがしていて。そうすると、ここをこう喋りたかったのだなという動機が見えてきたりするのです。

 

– そういった動機から動きを作っていくのでしょうか

 

そうですね。ただ、どう動くみたいなイメージはものすごく難しくて、稽古場に行ってみないとわからない部分は多いです。田野さんや見てくださっている方々の指摘で、初めてわかる部分もまだ多いです。

 

– では、今回、翻訳された言葉を喋ることの距離感については、どのようにお考えでしょうか

 

亀山 確かに、違和感みたいなものは感じます。ただ、自分が青年座研究所出身ということもあり、古い日本の戯曲など、ある種今からしてみれば自然ではない言葉を演じてきた経験もあったので、距離感のある言葉をたくさん喋ることについては、割とすんなり受け入れられていますね。逆に今回これだけの台詞を覚えて喋ることによって、改めて自分にルーツに立ち返っているような気がします。

 

– 今回お客さんに話しかける事について、どのように感じていらっしゃいますか

 

亀山 普段演技している時は、できるだけお客さんから影響を受けることを避けながら芝居しているところがあって。やっぱり自分の演技に自信が無いからだとは思うのですが、第四の壁みたいなものに助けられながらやっています。ただ、一方で、お客さんの反応に気がつく事もあります。笑い声や、空気感みたいなものが変わる瞬間とか。そういった反応はやっぱり面白いですね。別れていたはずの世界が一緒になっていく感じ。こちらが巻き込んでいることもあれば、作品がお客さんの反応に影響されていくこともある。そして今回、そういった壁の無さが前提となっている芝居なので、距離感の伸縮がすごく敏感に感じられます。すごい距離が離れるなという時もあれば、近づく時も敏感に感じられて。そこをうまく使って行ければなと思っています。

 

– では逆に今回、お客さんとして他の俳優の語りを聞いている時、どのように感じてらっしゃいますか

 

亀山 自分と同じような事をしていると感じることもあれば、憧れを抱くこともありますね。憧れる部分は、自分の演技にも取り入れようとしています。ただ出来ないこともありますね。例えば、小春ちゃんや萌ちゃんの語り観て、舞台/客席間の壁を抜きにして喋られているように見えて、「僕もああやって喋ってみたい」って思うことは結構ありますね。その方が受け入れられやすい感じがして。僕はどちらかと言えば、壁を飛び越えてから舞台に立つような感覚を持つほうで。だからなかなかフラットに喋る事が出来ません。ただ、最近自分のやり方にしか出来ないこともあるのかなと思ったりもしていて。その魅力を少しずつ探していきたいと思っています。

 

– そんな中で、亀山さんの語りの特徴はなんだと思いますか

 

亀山 30代の今でしか喋られないことを喋っているなという感覚はありますね。例えば太田さんの語りは結構普遍的なものだなと感じるのですが、僕の場合、今の僕が喋って成立する、賞味期限があるものって感じがしています。

 

– 今回の俳優陣とは別に、こういった人にギャンブラーを演じて欲しいというものはありますか

 

亀山 俳優じゃない方が、この話を身近な人に語り始めたら、それはそれで面白いと思いますし、僕と同じような、もしくはもっと若い世代の人が一人語りを事出来るようになるといいなと思ったりもします。何か喋りたい事を、人の言葉を借りて、斜に構えずのせていく感じ。カッコつけなくても許される事を、いろんな人に体験して欲しいです。また太田さんよりもっと上の世代や、新劇の俳優さんが語るこの物語を聞きたいとも思います。例えば白石加代子さんとかが、あるスタイルに押し込まないで、普通にこの話を喋ったらどうなるのだろうと考えたりもします。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– 今回一人語りをやった経験は、今後役者としての亀山さんに、どのような影響を与えそうでしょうか

 

亀山 今、新作などに出演する場合、やっぱり作家さんが予め用意してくる台本を待たなくてはならない場合が多くて。待っている間、俳側から出来る事が少ないなと感じています。また、俳優を見て作品を作られる作家さんもいらっしゃるので、僕たちから発せられたものが最終的に「脚本の魅力」として昇華されてしまう寂しさみたいなものもありますね。もちろん作家さんたちの書く欲求を刺激出来ていることや、僕たちの魅力を本にしてくれる事は嬉しい事なのですが。ただ、もっと俳優として、作家さん演出家さんの想像を超えていきたい。驚きというか、「なんでそんな事するのだろう」という瞬間があって初めて作品が膨らむと思っていて。それによって、今まで無かった考えがその場に生まれたり、それらがまた俳優に返ってきたり。そういった事の繰り返しが、集団で演劇を作ることの意義だと思っているので。そういう意味で、今回の現場は単純に、すでに本があって、その中で俳優なりに仕掛ける能力を磨き、発揮する事を、ある程度の期間繰り返すことが出来る。仕掛けていく役者になる為の訓練をさせていただいている気がします。だからこそ、持ち帰ることが出来るものは、とにかく持ち帰りたいですね。

 

– 亀山さんにとっていい俳優とはどういう人ですか

 

亀山 難しいですね。ただ、スタイルを綺麗に見せてくれるよりも、生き様が見える俳優がいいなって思ったりします。それは役者として凄く悔しくて、何のために自分は努力しているのだろうって思うのですが、どうしても滲み出てしまうその人の苦労とか、喜びとかが見える俳優には凄く魅力を感じてしまいます。それは俳優に限らないことかもしれません。仕事をしたりする上で、何かが上手く出来ること以上に、「この人いいなぁ」って感じが滲み出ていると、やっぱりいいなあ、こうなりたいなって思いますね。そんな俳優になるために、僕も日々頑張っていこうと思っています。

 

– ここを見て欲しいというところはありますか

 

亀山 お客さん自身の事を振り返られたらいいなと思いますね。この話自体に終わらず、いろんな人のおじいちゃんの事が思い出されるような話になると、凄く豊かだなと思います。そしたら、「こんな体験をしたんだよ」ってきっと他の人に喋りたくなる。そうやってどんどん話が広がっていく。「お前のところのじいちゃん、どうだった」みたいな感じでどんどん。それは凄く、芝居というものの価値を感じる瞬間です。そして、自分のやった事もまた、そこに繋がっていく。俳優を続けていても、今の俳優としての僕はどんどん過去になっていって、それはどんどん忘れ去られていってしまうかもしれない。その中で、私の語りによって産まれた体験が語り継がれる事は、今の僕を忘れないでいてくれる事に繋がるような気がしています。今の僕もまたそうやって、覚えていて欲しいですね。

また、俳優って、こういう仕事をする人たちですよって事もまた、見て欲しいところの一つですね。喋る人によって、物語がこんなにも変わってしまう。もし見比べてくれる人がいらっしゃるのであれば、そんな物語の変化と俳優の関係を感じて欲しいなと思います。もちろん、この人の方が良かったみたいな比較で見られる事も多いかとは思うのですが、そうじゃない、「誰が」喋るかによって生まれる変化。そこを感じていただけると嬉しいですね。

 

 

[1] 1996年製作のイギリス映画。監督はダニー・ボイル。スコットランドを舞台に、薬物中毒の若者たちの模様を描いた作品。