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【出演者インタビュー】堀内萌(AnK)

「おじいちゃん、バカだな」。語り手、堀内萌は、勝手気ままなおじいちゃんをそんな呆れた目で見ている。彼女の語りには、どこかおじいちゃんを理解しきれない、距離感があるのだ。ただ、そこに愛情がないわけではない。バカなおじいちゃんを、「仕方ないな」と許し、受け入れてしまう愛情。それは、孫が祖父に持つものとはどこか違う、母が子供に抱く母性愛のようなものに感じられる。カッコいいから、有名だから、お金があるから愛するのではなく、ただそこにいてくれるからこそ結ばれる愛情。その絆は、何よりも強い。だからこそ、彼女の切実な語りは胸を打つのだ。そんな彼女は何を思い、私たちに語りかけているのだろう。話しを伺ってみた。

 

インタビュー・テキスト 松尾元(ドラマターグ)

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♦︎ 堀内萌 ♦︎

日本大学芸術学部在学中より、小劇場を中心に活動。
AnK「ヘナレイデー」にて佐藤佐吉賞2014最優秀主演女優賞を受賞。
2015年度よりAnKのメンバーとなる。
クラシックバレエ、ジャズダンス歴があり。ごくたまにダンス公演にも出演する。
写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– ここまで稽古をやられてきて、今何を感じていらっしゃいますか

 

堀内 この間帰り道に華ちゃんと、2人とも他の人の語りを見ながら、「自分のやっているものは面白いかな」という不安を抱えている事を話していました。みんな凄く面白くて。「ああ、こういう風にやるんだ」って感じる事が楽しい反面、自分は、元から自分の中にあるものを使って演技をしているので、それが面白いのかという不安はずっと持っていますね。

 

– 元からあるものというのは、一体どのようなものなのですか

 

堀内 自分にとっての当たり前みたいなものというか、「こうなるだろうな」という想定みたいなものですね。普段のお芝居の時もそうなのですが、台本を読んでいくうちに、自分の中に浮かんできたものたちに沿って演技を作ることが多くて。それは例えばイメージや、自分の過去の経験、記憶などなのですが。今回も、語りの部分などは、この数年でやってきた、作品たちを元にしている部分があります。例えば、前に歌舞伎女子大学という団体の「妹背山婦女庭訓に関する考察」という作品に出させて頂いた際、好きな歌舞伎作品について話す、凄く主観的なイヤフォンガイドみたいな設定で、語りに近い演技をやらせて頂いた事がありました。また、所属しているAnKの「ヘナレイデーアゲイン」という作品では、ブログのアバターとして、その中身を話していくみたいな経験させて頂いてこともあって。そういった今までの経験を引き出しながら、想定やイメージを思い描き、演技を構成しています。

 

– 今回なぜこの一人語りに挑戦したいと思ったのですか

 

堀内 先ほどお話しさせて頂いた、今回の「語り手」に似たような役柄を演じたことがきっかけですね。ただ、その時は、「こういう場面があるんです」って語ったら、そこでその場面が行われて、そこにまた「この時私はこう思って」みたいな語りを挟むみたいな、他の出演者の方による表現もありました。その経験を経て、「本当に一人だけで舞台に立ったらどうなってしまうのだろう」という事に興味が湧いて。いつか一人芝居をやってみたいと思っていたところに、ちょうど今回の募集があって、受けてみようかなと思いました。

 

– 最初戯曲を読んだ時はどのように感じましたか

 

堀内 こんなに登場人物がたくさん出てくるとは思っていなくて、驚きましたね。今となっては、ずっと同じ人でやる方がしんどいように思うのですが。今まで出てきた作品は、人格としては一人だったので。どうしたらいいのだろうって、最初すごく悩みました。その中で、今出来そうなシーンはどれだろうって考えながら、オーディションに臨みました。その時は、今やっているような、お客さんを他の人物に見立てて喋るみたいなことは思い浮かびませんでしたね。かといって落語みたいに、左右に役振って喋るみたいなやり方は、自分には厳しいと思っていて。思ったより未知の世界に足を踏み入れてしまったなと感じましたね。でもお話自体は、自分の思い出とかを引っ張り出してくれるような、凄く素敵な本だったので、やってみたいって思いは変わらなかったですね。

 

– その本に感じた面白さについて、もう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか

 

堀内 3年くらい前に祖母が亡くなって。それが初めて身内を失った経験だったのですが、その時の記憶が結構しっかり残っていて、そこと今回の台本がリンクしていますね。私のおばあちゃんも明るくてよく喋る人で。ただ、亡くなる前の1〜2ヶ月はほとんど喋らなくなってしまって。その頃祖母のお見舞いに行った時、祖母が話した言葉や、その時の状況が、すごく記憶に残っていて。そしてそれらが、今回のおじいちゃんのエピソードに凄くリンクする部分でもあって。だから後半のストーリーを読んでいる時、その時の記憶が、実感を持って蘇ってきたりしていて。それが、この作品をやってみたいという一つの大きな動機だったりしますね。

 

– そういった記憶は、演じている際にも出てきているのですか

 

堀内 出てきますね。後半は特に出てきます。本当は前半にもそういった記憶を使っていきたいのですが、やっぱり濃い記憶とリンクするのは後半の方が強いですね。その時浮かんでいる映像も、祖母に関する記憶の映像が多いですね。

 

– 普段のお芝居の時も、自分の記憶を用いる事が多いのですか

 

堀内 その方が多いですね。ゼロから役を作る事をあんまりした事がなくて。自分の記憶で置き換えられる事は置き換えて、いつも芝居を作っていますね。

 

– そういう面では普段演技する時と、自分の中の処理はと変わりませんか

 

堀内 そういう意味ではそうですね。ただ今回はその上で、役が変わり、視点が変わっていく中でも変わらない、一つの居所を各シーンに探そうとしています。その点はいつもと違いますね。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– 今回の舞台であるスコットランド、グラスゴーにはどのようなイメージを持っていますか。またそれらは芝居に影響していたりするのでしょうか

 

堀内 その辺りは具体的なイメージはなくて、ただ中学校の荒れた感じは、「なんとなく見覚えあるな」って感じを持ちながらやっていますね。でも、行ったことも想像もつかない場所について、想像力を働かせながらなんとか腑に落として喋る、喋る事が出来る、また聞いて想像が出来ることって、不思議ですが、面白いですね。

 

– 今回の作品のおじいちゃんには、どのようなイメージを持たれていますか

 

堀内 どうしようもない人って思いながら、この人こういう風に生きるのが幸せなのだろうなって感じていますね。結構おじいちゃん独自の理論が出てくるのですが、それを理解できないながらも面白く聴いていたりする瞬間があったりして。よくわからないけど面白いなみたいな。持論が強いおじさんと出会った時の体感などを思い出しながらやっていますね。「そうなんですね」と言いながら、反面「よくわからないなあ」って思っている時の感じみたいな。

 

– 語り手である孫に、何か具体的なイメージはありますか

 

堀内 孫に関しては、かなり自分自身として作っていますね。だから逆に、他のキャラクターでちょっと遊びたいなって部分もあって。そこが私にとって、エピソードトーク感と繋がっている部分で。本人として喋っているからこそ、他人のモノマネを誇張してやって見たりとか。そこで、話しているこっちも楽しんでやれればいいなと思っていますね。思い入れが強くなってくるとどうしても重たくなってしまう。自分の傾向として、どうしても腰を据えがちというか、落ち着きがちになってしまうので、その中でどれくらい動けるのか、力まず自然なやり方で、どれだけ楽しくやれるのかは試していきたいですね。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– では、今回、翻訳された言葉を喋ることの距離感については、どのようにお考えでしょうか

 

堀内 あまり翻訳ものをやる機会がなかったので、最初は確かに、地名や文化の違いに距離感を感じましたね。ただいま思うと、遠さを感じていた理由って、地名や文化の面だけだったのだなと感じます。そこが馴染んできた今となっては、そんなに遠くに感じる必要がないなって思っています。私、映画も洋画にちょっとした距離を感じて、あまり見た事が無かったのですが、それもただ馴染みがないフレーズ、固有名詞があるだけで気負う必要はなかったんだなと思えてきて。これからはもうちょっと見て見ようかなって気になっていますね。

 

– 台本はどのように覚えていますか

 

堀内 今回は読むだけでなく、携帯に録音して、聴きながら覚えていたりもしますね。覚えやすいところと覚え辛いところがあって、特に私は前半が覚え辛かったですね。後半の方が、イメージしやすいところが多かったからか、覚えやすくて。だからイメージしやすいシーンから覚えていきましたね。

 

– 普段とは、また覚え方は違いましたか

 

堀内 普段そんなに台本を覚える事が苦手な方ではないと思っているのですが、事前に覚えていくことは苦手で。稽古の中で何回かやっていくと、割とすぐ覚えられる方です。後は立ち位置について、景色とか、相手の人の演技や言葉から覚えていく感じですね。

 

– 今回、お客さんに話かける事について、どのように感じていらっしゃいますか

 

堀内 語るときは、今はまだ他の俳優の方々が観客をやってくださっているので、真剣に聴いてくれて、「ありがとうございます」みたいな気持ちです。ただ、先ほど話した、過去に出演した作品の時には、ついつい反応の良いお客さんに目がいってしまって。今回もそうなのですが、「反応の良いお客さんばかりに甘えてはいかん」と思いながらやっているところもあります。でもやっぱり暖かい反応が返ってくると嬉しいですね。ここは当日、結構お客さんに左右されてしまうかもなとも感じてはいるので、お客さんの反応に頼りすぎず、また無視しないように、心がけてはいます。

 

– では逆に今回、お客さんとして他の俳優の語りを聞いている時、どのように感じてらっしゃいますか

 

堀内 みんなが同じ台詞を喋るからこその驚きや発見がたくさんあります。普段遊び半分で、「あの人の役を自分がやったらどうなるだろう」と頭の中で想像していたりするのですが、それが目の前に具現化されている感じで。ただ、実際見てみると、自分には無い引き出しを、他の俳優たちがたくさん持っていて。例えば、亀ちゃんとかは演劇色強めで作っていたり、華ちゃんは華ちゃんにしか創れない世界を創造していたりしていて。そういう、自分とは違う語りを見ていると、「じゃあ私の語りは面白く見られることができるのだろうか」と不安になりますね。私の作り上げてきた語りが、果たしてどういう効果をもたらしているのか、もっと深く考えないといけないなって痛感させられます。

 

自分にはない引き出しについて、もう少し詳しくお伺いしたいのですが、他の方の話を聞いている中で、「自分もこう喋ってみたい」という瞬間は結構ありますか

 

堀内 それぞれ、結構ありますね。例えば、同じ女の子でも、2人とも自分と全くタイプが違うなって思っていて。小春ちゃんの、とめどなく喋り続けられる感じなども羨ましく見ています。あと太田さんの、語り手としての存在の仕方は、私にとって理想的だなと思います。本当にその時思った事を喋っているように見えて。私は、自分の上演に関しては、ドキュメンタリーや、エピソードトーク寄りにしたい部分があって。全部は無理でも、ちょっとでも盗めたらいいなって思いながら見ていますね。また、太田さんや小春ちゃんの、舞台上を自由に動いている感じとかを見ると、「こういう風に、舞台に立って見たい」って思いますね。

 

– では逆に、他の俳優の語りが自分に近いなと思う瞬間などはありますか

 

堀内 どうでしょう…スタンスみたいなところに関しては、うっちょ(浦田)と似ているなと思っていて。世界をがっちり創るわけではないけど、喋りかけたい事はあって。またそんなに強くは押し出せないけど、「出来れば聞いてね」みたいな。そんな気がしますね。

 

– 何か他に、お客さんとして気づかれた事はありますか

 

堀内 お客さんの時不思議に感じる事は、俳優が目を合わせてきた時、恥ずかしく感じる人とそうではない人がいる事ですね。どちらがいいとか悪いではないのですが、例えば太田さんや亀ちゃんだと見られてソワソワする感じがあるのですが、うっちょや華ちゃん、小春ちゃんだと見られてもすんなり受け入れられる感じがします。性別や年齢など、いろいろな理由があるとは思うのですが、例えば華ちゃんは和田華子ワールドの中からこっちを見ている感じがするので、あまりソワソワしないのかもしれません。小春ちゃんは「私が喋りたいことを喋っています」みたいな、いい意味での勝手さが安心につながる感じがしています。逆に、先に挙げた二人は、語りかけられている感を凄く感じますね。

 

– では、今回の俳優陣とは別に、こういう人のギャンブラーが見たい、聴きたいというものがありますか

 

堀内 ギャンブラー自体が自分の周りにはあまりいないので、そういう本物のギャンブラーがじいちゃん目線で、主観的に話しているものは見てみたいですね。その人の体験として話されると、知らない世界を追体験しているような感じを受けるのではないかって感じたりしています。今回語り手を自分寄せにしているので、おじいちゃん側の話を聞いて見たいとは思っています。

 

– 今一番引っかかっている箇所はどのような場所でしょうか

 

堀内 語り手が成長していく中で価値観が変わり、おじいちゃんの見方が変わっていくところは、人によって見え方が全然違うところなのですが、そこについて私はまだうまく整理できていなくて、悩んでいますね。整理できないなら整理でいないなりにやり方はある気がしていて。そこをうまく構成しつつ、今語り手がおじいちゃんの話をしたがっているという意思まで繋げられたらと思っています。

 

– 今回演技を再現することは出来ますか。もちろん、何をして再現と呼ぶかにもよるかとは思うのですが

 

堀内 目線や間を完全に再現するのか、その時の内面を再現するのか、そのどちらかしか今は出来ないような気がしています。それは今回に限る話ではないかもしれませんが、外側を固めすぎるとそこに気を取られすぎてしまうような気がしていて。なので、今は感覚や内面の方に外側がついてくると信じ、内側の再現が出来るよう、稽古場は繰り返し試しています。

 

– その時は、冷静に判断する自分がいる感じなのですか

 

堀内 一応出てくることはあるのですが、それが明確に感じられる時は、どこかが再現出来ていない時ですね。「なんか違うぞ」って頭の中で行っている人がいる感覚です。なので、そういったもう一人の自分といかに付き合うかが課題ですね。

 

– 今回この一人芝居の経験を、今後どのように活かしていきたいですか

 

堀内 本当に今回、今まで自分が、いかに何も考えないでやっていたのか痛感していまして。位置の取り方とか、空間の使い方を、かなり演出家任せにしてきたのだなと反省しています。今回は稽古場で、まず自分がプランを作った上で見せて、田野さんに調整していってもらうことを繰り返していて。だから自分でとにかく考えなくてはならなりません。ただ、ずっと、自分がどう動いたらどう見えるかを冷静に観察出来る役者は強いし、そうなりたいと思っていて、今回まさにそれが出来るようになるための修行をしている感じがしますね。客観的な目といいますか。今自分の演技がどのような効果を生み、どのように見られているのか冷静に判断する目だけは、常に持って舞台に上がれるようになりたいと思っています。そして、今回の経験は、そのステップを上がるための大きなチャンスになると感じております。

 

– 堀内さんにとって、いい役者、こういう風になりたい役者とはどのような役者ですか

 

堀内 そこにちゃんと人がいるって感じられる役者ですね。フィクション度とは関係なく「嘘じゃん」と感じてしまう瞬間、冷めてしまう事がよくあって。そうじゃなくて、ただ立つことに嘘を感じない、存在感を持った役者が好きですね。そういう役者に憧れますし、常々私もそうなりたいと思っております。

 

– 最後に、今回どのようなことをお客さんに感じてもらいたいですか

 

堀内 本当は全部見比べてほしいのですが、やはり全部は時間的にも大変かなとは思います。でもどうにかして知ってもらいたいって気持ちはありますね。今多分、稽古で全員分見られている自分たちが一番贅沢している感じがしていて。この感覚を一人でも多くの人に味わってもらいたいです。6人の俳優がそれぞれ違う角度の語りを行う。そういった場で生まれている衝撃を、たくさんの人に見てもらいたいです。