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【出演者インタビュー】和田華子

和田華子が見せるおじいちゃん像は、とにかくクールでダンディーだ。ハチャメチャなことを言っていても、そこに妙な説得力がある。ある意味遠く、そして彼を理想として歩んで行きたいおじいちゃんである。そして、彼について語る孫もまた、おじいちゃんに対する敬愛を隠せていない。彼女にとっておじいちゃんは、大好きで、そして理想的な存在なのだ。そしておそらく今の彼女もまた、そんなおじいちゃんを追い求め、生きているように思われて仕方がないのだ。そういう意味で、彼女が語る物語は、彼女自身の過去、そして未来の生き様についての物語である。そんな、憧れに向かって走り続ける女優、和田華子に話を伺ってみた。

 

インタビュー・テキスト 松尾元(ドラマターグ)

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♦︎ 和田華子 ♦︎

青森県十和田市出身。京都造型芸術大学舞台芸術学科卒業後、都内を中心にフリーで俳優活動している。

平田オリザ私塾、無隣館3期生。

これまでオノマリコ、山田百次、神里雄大、瀬戸山美咲、松村翔子等の作品に出演。

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– ここまで稽古をやられてきて、今何を感じていらっしゃいますか

 

和田 あと1ヶ月くらい欲しいですね。最後まで台詞が入って、人前でやって見て、自分の中に一本筋が通った感じがします。ただそれをお客さんに届けるための方法を、また考えなくてはならなくて。そうしなければ、語りとして成立しない気がします。そしてそれらは、人前で繰り返し通していく事で得られる体感によって作られていくものだと思います。だから、とにかく今は人前でやる時間がもっと欲しいですね。

 

– 人に聞いてもらっている時の感覚は、具体的にどういうものと捉えていますか

 

和田 一人でやっていると、自分の理屈でしか話す事が出来ません。人前でやっていると、相手の反応があるので、そこに乗っかりながら、生のやりとりを利用し、演じる事が出来ます。ただ、その時、予想外の反応がきてしまうと、まだ動揺してしまいます。そこが難しいところですね。後は、お客さんとの体感のズレを埋めることも、なかなか難しいですね。例えば、お客さんが疲れているように感じた時、とっさに「聞いて」という思いを強く出して語ってしまうこともあるのですが、後から聞いてみると、「そんなに聞いていなかったわけではなかったのに…」という感想をいただいたりもします。そういうズレの擦り合わせは、人前でやっていかないとどうしようもないことですので。自分を100%見ていて欲しいという緊張感を持ってしまうこともまた、私の悪いところですね。「どこ見ていてもいいですし、聞き流してもいいですよ」くらいの余裕は、やっぱり必要で。でもやっぱりこちらからその余裕を作るのは勇気がいることですし、今はまだ怖いですね。

 

– そのような「怖さ」は、どのように減らして行こうと考えていらっしゃいますか

 

和田 やはりとにかく自分の体感と見ている人の体感のズレを埋めることですね。今はとにかく田野さんや見ている人の話を聞いています。また、自分からも不安要素をいくつかピックアップしています。例えば、おじいちゃんの演技について。男性はおじいちゃんをやっている時でも、気を抜いて聞く事ができるように感じます。ただ、女の子の身体から出てくるおじいちゃんの言葉は、明らかに演じているものとなってしまう感じがあります。それが果たしてリラックスして聞けるものに出来るのか、不安に感じることもありますね。後、私自身、普段から人と喋る事が苦手で。「どうせ私の話なんか聞いてくれない」みたいに感じてしまうことも多くて。だからこそ一生懸命説明してしまいがちで。それが出てきてしまっているところもあります。ここも不安な点の一つです。こういった点に注意しながら、人前で語る事を繰り返し、感覚のズレを修正していきたいです。

 

– では逆に、そういった「おしゃべりが苦手な自分」をうまく使えそうな部分はありますか

 

和田 例えば自分の中で言葉がまとまらず、でもとても切実なことを、一人で喋るシーンは、とても喋りやすく感じます。そこに語り手のシャイさが出ているような感じがして、腑に落ちやすかったですね。

 

– 今回なぜこの一人語りに挑戦したいと思ったのですか

 

和田 あらすじがとても面白そうだったからです。それで応募したら、戯曲が送られてきて。読んでみたら「もうこれは絶対やりたい、やるしかない」と思えて。その上で「私には出来る気がする」と感じられました。もちろん一人芝居への不安はありましたが、いつかやりたいとも思っていまして。やって自信がついたらいいなと思う面もあります。ただ、今まで見てきた中で、残念ながら女性の一人語りの中で、面白いと思えるものになかなか出会う事が出来ませんでした。それは、私自身の体感として、女性の話よりも男性の話の方が、長時間聞いていられるように感じられて。そういう意味で、女性の私が一人語りをすることの不安はありました。また、基本的に台本がしっかりしていないと、一人芝居はすごく辛いものだと思っていまして。だから、今回のように、既成のしっかりした戯曲をやる方が、私にとっての有り難いのかなと思い応募しました。

 

– 初めて戯曲を読んで見た時、どのように感じましたか

 

和田 まず、「私にも出来そうだ」と感じました。人によって話やすい物語はあると思っていて。恋愛ものとか、女の子同士の話とか。ただ、それは良いとか悪いってものではなく、その人自身の、培ってきた性質です。今無隣館に通っていて、そこでオリザさんが「人によって喋りかけやすい人がいる」という話をしてくれて。そういう意味で私は、年配の人との交流の方が、同年代よりもすごくリラックスして喋られるタイプで。それは、両親もいとこもかなり歳が離れている環境で育ったからというのもあるのですが。だからおじいちゃんとの会話が凄く身近に想像が出来て。また、私の家にも庭があり、戯曲に書かれていた、「庭仕事をする事は、ちょっと大人として認められるような感覚」というのが理解出来て。そういった意味でやりやすいと感じました。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– 舞台となっているスコットランドのグラスゴーについてのイメージはありますか。またそのようなイメージは自身の演技にどのような影響を与えていますか

 

和田 これは日本には直接置き換えられないもののような気がしています。サッカーに熱過ぎるところ、貧困についての話、生活の質、賭けの文化など、調べる事は出来ても、スコットランド人のように想像したり実感したりすることはできない。ただ、そういった背景の文化を前提にすることは、重要だと思っております。その上でわからないことを調べて、スコットランド人と文化自体の距離の方を、私とその周りの事と比べて考えてみる。想像できないことを尊重しつつ、ただ、全てを背負わなければ演技が出来ないということでもないので。その辺りは折り合いをつけて芝居しています。

 

– 今回の作品のおじいちゃんには、どのようなイメージを持たれていますか

 

和田 戯曲読んだ段階だと、孫の手には届かないところにいる、交流はあるし、自分にはたくさんの影響を与えているけれど、自分が影響を与える事は出来ないような存在だと思いました。近いのだけど遠いというか。また、戯曲上では仕草は触れても外見のことには一切触れていなくて。だから、背が高いけどのっぺらぼうな存在ってイメージがありました。演技を作る際は、あまり具体的な人を当てはめ、トレースしないようにしていました。どこか、戯曲のイメージと違ってしまうような気がしていて。また、自分が出来るおじいちゃんにしておかないと、演技できないってこともありますね。今回はとりあえず一度、自分の知っているおじいちゃんというおじいちゃんを全て詰め込んでやってみました。そしたら「畳と腹巻が見えた」って言われて。昭和のおじいちゃんでも、そこから引き算をする形じゃなければ作れないような気がして。後は孫の芝居をしている時に、自分をうまい具合に振り回してくれるじいちゃんを作ろうと思っています。そう言った中でじいちゃんを作りたいです。

 

孫(語り手)はどのようなイメージでやっていますか

 

和田 基本的に自身のベースは語り手においています。その上で、語り手の若い頃をキャラクターにしていく感じでやっていたのですが、見ている人からは「キャラクター化すればするほど、キャラクターを作る技術ばかりを見せられている気になり、食傷気味になる」と指摘を頂き、むしろ今はおじいちゃんとのやりとりの中でお互いの返しやすさを感じられるよう、作るようにしています。もちろんキャラクターになる部分もあるのですが、どちらかといえば、バランスで作ろうとしています。

 

– 他に印象的な人物はいますか

 

和田 出てくる人物ではないのですが、お父さんの話が全く出てこない事が印象的ですね。身近なのに語られない人がいる事は面白いです。今回結構語らない余白が多い戯曲だと感じていて。だからこそ想像が出来て魅力的だなと思います。

 

– では、今回、翻訳された言葉を喋ることの距離感については、どのようにお考えでしょうか

 

和田 割とすんなり喋れている気がしますね。そんなに違和感を感じていたりはしません。

 

– 台詞はどのように覚えていますか

 

和田 とにかく喋っています。ただやっぱり苦戦していますね。普段から台詞覚えは悪い方で。だから今回、全員同じ台詞を扱うので、セリフ覚えの悪さが凄く浮き彫りになっていて。悔しいですね。

 

– 今回の一人芝居は普段やられているお芝居とどのように違いを感じられていますか

 

和田 もう全部自己責任というところですね。戯曲は明らかにいいものなので、印象が悪ければ、悪いのは全部自分。ただ逆に自分のペースで作れるメリットはあります。いつもは相手の役者さんに遠慮がちになってしまうので、その点は楽です。遠慮がいらないというか、人見知りでも許されるというか。もちろんお客さんに対する人見知りもあるのですが。後は、独りよがりの芝居がすぐに浮き彫りになるところもありますね。

 

写真:臼杵遥志
写真:臼杵遥志

 

 

 

 

 

 

 

 

 

– 俳優としていつも心がける事はありますか

 

和田 周りに左右され過ぎないようにすることですね。ダメ出しをもらった時いつも、自分がやっていること全部を捨てて1から作り直そうとしてしまう癖があるので。気づかないうちに捨ててしまったもので、使えそうなものはすぐに拾えるよう心がけています。

 

– お客さんに話しかける時、どのように感じていますか

 

和田 フィルターや嘘を減らそう、無くそうとした方がお互いに楽だなと感じています。これは語り手を演じている芝居なのですが、芝居と嘘はまた違うと感じています。例えばお客さんからの反応を拾う事は、嘘ではない部分ですね。台詞が体に落ちれば、無理をせずそれが出来るようになると思っています。

 

– では逆に今回、お客さんとして他の俳優の語りを聞いている時、どのように感じてらっしゃいますか

 

和田 羨ましさしかないですね。みんなの武器が羨ましい。でも私はその武器が使えない。例えば小春ちゃんのお喋りな感じは、お喋りが苦手な私がやると、ただの早口になってしまう。亀山さんの優しそうな語りを取り入れようとすると、優しくない私は、腫れ物に触れるような感じでしてしまう。そんな中で、私にしか出来ないことを知りたいですね。お喋りが苦手なところを逆にうまく使えればいいのですが、あまり行きすぎると秘めたものを打ち明けるカミングアウト感が出てしまうので。

 

– 今回の経験から持ち帰りたいものはありますか

 

和田 今回はいっぱい失敗していいんだと思えました。相手役がいるとどうしても、その人にも迷惑がかかってしまい、二の足を踏んでしまいがちなので、出来るだけ一発で正解に持って行かないと思っていまして。失礼がないようにとか、嫌われないようにとかいう思いもあるのですが。本当はそんな事考えなくてもいいのに。でも今回、大失敗しなければ先に進めない事を学んでいます。30点を出し続けるみたいな。その方が楽しいし、言われている事への実感も感じられるので。楽しくないと本当にダメになってしまうって。今回はみなさん優しいので、そういう意味ではそこに救われています。

 

– 今回の俳優陣以外で、こんな人のギャンブラーが聞いてみたいという思いはありますか

 

和田 70代、80代のやる、おじいちゃんのギャンブラーは見たいですね。人によってうけとるものは絶対に変わる芝居で。だからこそ年配の男性が作る空気感の中で、ギャンブラーを聞きたいとは感じます。

 

– 和田さんにとって、「いい役者」とはとういう役者ですか

 

和田 やっぱり30点をちゃんと出せる役者ですね。失敗が出来て、また大胆に触れる役者。もしかしたらそれはある意味不器用な役者なのかもしれないのですが、私はそういう欠陥があるような極端な役者が好きです。ただそれは意図して慣れるものではないので、とりあえずはまず自分ができる失敗を数多くこなして行きたいと思います。

 

– 今回お客さんにどのようなところを見て欲しいですか

 

和田 本当は全部見比べて欲しいですね。そうでなければ、極端な二つとか。男女とか、最年長最年少とかだと面白いと思います。ちなみに私と一番違うのは、実は他の女の子2人だと思いますね。