RoMT.

十二夜の、十二人 その⑫ 太田宏(マルヴォーリオ)

演出家の田野です。

 

まさに“12夜”にあたる1月6日から12日間連続でお送りしようともともとは試みていた、

このブログ企画「十二夜の、十二人」。

 

結果的には、何日かに一回のペースで更新、っていうところで定着しまして。

・・・まあ、なんだか、結果的にはそれでよかったんではないかと。

ちょっとずつ稽古場での様子なんかもおりまぜて書けたりしましたし。

 

ということで、この企画もようやく最終回、、、!

最後の出演者に到達しました。

 

大トリとして登場してもらいますのは、コチラ。

 

hiroshi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・えー、変な写真ですけれども。

マルヴォーリオ役の、太田宏さんです。

 

 

私・田野にとっては、“メイン・コラボレーター”。

若手自主企画時代から始まって、RoMT結成後は『待つ/髪をかきあげる』の2本立て、

3時間超えの一人芝居『ここからは山がみえる』、そして昨年5月の『ゴーストシティ』と、

最多出演していただいております。いやいや、ほんとお世話になってます。

 

ということもあって、太田宏がどういう魅力をもつ俳優なのか、ということは、

もう述べません(笑)。恥ずかしいもの、そんなこと。

 

なので、違う観点から話を展開しましょうか。

 

僕は《作・演出》をしないので、創造の源泉はあくまで“戯曲”です。

既成の戯曲を読み、なんだかひっかかる、しかし魅力的に感じるものがあり、

そこから様々なイメージがふくらみ、現在これを上演する価値があると感じられた作品を選んで、

準備に入り、上演する、というのが基本的な流れ。

 

そんなふうに、どうしたって入り口は僕自身の主観的な、第一人称的な世界の見方、

あくまで個人的な同時代的イメージから始まるわけですが、不思議なことに、

実際に上演するものやすぐには上演しないけれどいつかやりたいと思っているもののなかに、

太田宏っていう人は「いる」んですよね、ほとんどの場合。

時には主役だし、特にはセリフも登場回数も少ないちいさな役かもしれないのですが、

僕が戯曲を通じて世界に接しようとして、で「この戯曲面白いなあ」と思いながら読んでると、

途中でたいてい、発見しちゃうんですよ。「あ、ほらやっぱり。太田宏がいるわ」、と。

 

演出家としては、そういう俳優に出会えるのはとても幸運です。

ジャン=ピエール・ジュネ監督が創る映画に必ず登場するドミニク・ピノン、

みたいな例とまったく一緒だと思うんですよねえ。

そしてクリエイターとしては、できることならそういう俳優を増やしていきたいと思います。

男女にかかわらず。

 

 

というわけなので、『十二夜』の上演に至った経緯にも、もちろん太田宏はかんでいます。

 

以前どこかにも書きましたが、僕が青年団演出部に入団したのは2002年で、

その段階から、「いつか『十二夜』をここで上演したい」と考えてはいたのでした。

しかし実際、『十二夜』上演のための具体的な準備がはじまったのは、2009年のことです。

 

2009年は、転機となる年でした。いろんな意味で。

 

詳しくは、この『十二夜の、十二人』が終わって次の企画で紹介しようと思っておりますが

(・・・そう、次の企画があるみたいですよ、どうやら)、

シェイクスピアにどうアプローチすればいいのか、自分なりに整理をして、

そして具体的なアイディアがほぼ固まったのが、2009年5月〜6月のロンドン滞在でした。

このときに、近い将来『十二夜』を上演するためにどういうステップが必要なのかを

逆算する形で計画を練り始めたんですよね。

 

最大の課題は、“語り”、についてでした。

演劇における“語り”とは何なのか、具体的にはシェイクスピアの戯曲に必ず出てくる「モノローグ」を、

日本のシェイクスピア上演ではうまく扱えていないんじゃないだろうか、という点。

そもそも“語る”ということの感覚が日本と西洋ではまったく違うわけですね。

よく言われることですが、例えばチェーホフの芝居を観ていて、「なんでここに出てくる人たちは、

みんなこんなにしゃべるんだろう?」みたいに思うことって、あるじゃないですか。

どっちがいいとかどっちがスタンダードだとかは全然関係ない話ですが、

少なくともシェイクスピアの上演を日本でする際には、“語り”の課題を解決しないといけない。

日本の俳優にも、日本の観客にも、受け入れられる形で“語り”を成立させるためには、

じゃあどうしたらいいだろうか? ・・・と考えたわけです。

 

そのときに出会ったのが、『ここからは山がみえる』という戯曲。

つまり、2010年に僕たちが手掛けた『ここからは山がみえる』という作品は、

『十二夜』にいたる一連の流れの一番最初の取り組みであって、誰よりもまずは太田宏に、

“語り”が可能かどうかをトライしてもらおう、という試みだったわけです。

実際、この公演でつかんだものは、思いの外、大きかった。

 

そして2013年、RoMTは『ここからは山がみえる』を再演することになるのですが、

実はこのときの稽古場で、僕がたまたま持っていた『十二夜』のテキストを、

太田宏にちらっと声に出して読んでもらったことがありました。

第2幕第5場の、マルヴォーリオの“手紙”の場面。

いまでも鮮烈に覚えていますが、ものすごく面白かったんですよね。それが。

そしてなにより、きちんと語られていた。シェイクスピアの語りはこうあるべき、みたいなもの。

「あ、これ準備が整ったな」と思いました。『十二夜』を上演することについて。

 

あのとき、もし太田宏のマルヴォーリオがまったく面白くなかったとしたら、

たぶんまだ今の時点で『十二夜』はやろうとしていなかったでしょう。

 

僕が太田宏を“メイン・コラボレーター”と捉えているのは、こういうところです。

 

 

シェイクスピアの“語り”というものをこう捉えていきたい、と考えて、

この数年ある意味では先行事例としてRoMTの現場で太田宏に培ってもらってきたことは、

もちろん本人の俳優としての経験にとっても大きかったことと思いますが、

それ以上に、特に今回の座組において、先行する太田宏の経験は、

他の俳優たちにも何らかの形で波及していい影響を与えてくれるだろう、と。

そういう役割を、今回の座組のなかでは担ってもらってもいます。

 

でも単純に、たぶん相当面白いですよ、太田宏のマルヴォーリオ。

ぜひご期待いただきたいと思います。

 

 

うーん、全体的に、褒め過ぎたか?

 

・・・ま、大丈夫でしょう。

 

 

というわけで、『十二夜の、十二人』、最終回は、

マルヴォーリオを演じる太田宏の巻、でした。